あの兄弟の働きは、良き膏薬☆ | げむおた街道をゆく

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5月21日、武田四郎勝頼は、夜中より軍勢を追々繰り出した。

また曙に備を立てて、一備ごとに分かれて攻め掛かる様子なので、

織田・徳川両将は、かねて仰せ合わされたように、

「軍勢は、柵外に出てはならない。」

と堅く制し、鉄砲3千挺ずつ用意して待ち設けた。

 

信長卿は、

「今日、敵を練雲雀の如くせんものぞ!」

と仰せになる。
 

その頃、徳川御陣では、大久保治右衛門(忠佐)が、兄・七郎右衛門(忠世)に向かい、

「今日の戦で、当手は本主、織田勢は加勢である。

万一織田衆に戦を始められては、これ以上の恥辱はありません!

某が進んで足軽戦を始め候べし!

鉄砲の歩卒を添えてください!」

と言うのを、神君(徳川家康)は聞かれ、

「もっともである。」
との仰せにより、

柴田康忠・森川氏俊・江原利金・日下部定好・成瀬正一らの属兵を、

大久保兄弟に差し添えて、先頭に進められた。

 

成瀬は徳川の御家来であったが、
一度、子細あって甲斐へ立ち越し、

この年頃、武田家に仕えたが、今回御内意あって帰参した。

それゆえ武田家の侍大将どもの旗指物を、

よく覚えているからと先手に加えられたという。

(中略。大久保兄弟は、先陣を切って山県昌景勢と戦い活躍)

今日の大久保忠世・忠佐兄弟の戦場での働きを、信長卿は御覧になって、

「徳川家の中で金の揚羽蝶と浅黄に黒餅の指物をしているのは、何と申す男か。」

と問われ、神君は大久保兄弟と御答えし、信長卿は、

「徳川殿は、良き人を御持ちだ。あの兄弟の働きは良き膏薬のようだ。

敵に付いて離れない。」

と仰せられた。

かれこれする間に、神君は岐阜におられた。

信長卿は、今回の加勢を感謝されて、神君を厚く饗応なさり、

御供の人々へも、若干の被け物を賜われたが、

信長卿は、

「長篠で見た、髭は来ているか。」

と問われた。

 

その時、大久保治右衛門が、進み出て、

「兄の七郎右衛門は供に参ってはおりません。」

と申せば、信長卿は、

「汝ら兄弟は、今回の功、抜群なり。」

と仰り、御自身の手で衣服を取って授けられた。

 

大久保は、大いに面目を施され、神君も殊更に喜びなさって、浜松へと帰られた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 良き膏薬が如し、大久保忠世

 

 

 

ごきげんよう!