ある時、紀伊頼宣卿(徳川頼宣)が、
忠輝卿(松平忠輝)を御招きになり、
饗応があった折、いかなる故にか、忠輝卿はとにかく機嫌が悪かった。
頼宣卿は、心配なさって、自ら盃を進めるなどしなさったが、
忠輝卿は、酒も飲みなさらなかった。
ところが、頼宣卿が用事あって、
正木小源太という小姓を呼び寄せなさると、
忠輝卿は、その小姓・小源太を御覧になられて、
頼宣卿に所望なさった。
これに早速、頼宣卿の御承知があったので、
それより忠輝卿は大いに機嫌が良くなり、
興に乗じて、側に有り合わせた大砂鉢を取り寄せ、
酒をなみなみと注がせて、
2度まで飲みなさったという。
この小源太は、後年に忠輝卿が、将軍家(徳川秀忠)の御不審を蒙り、
条々の御咎めがあった時に、忠輝卿に切腹を勧め奉ったのだが、
忠輝卿は仰せになり、
「命さえあれば、身はいかようになり行くとも、また面白きこともあるだろう。」
として、切腹仕りなさらなかった。
しかし、小源太は強く切腹を勧めて、
「私が、御先を供に仕らん!」
と言って、忠輝卿の眼前で切腹して相果てた。
しかしながら、忠輝卿は、切腹仕りなさらなかったので、小源太は犬死になった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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