太田但馬守長知の謀殺☆ | げむおた街道をゆく

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慶長7年5月、金沢城内本丸御殿にて、加賀前田家筆頭家老太田但馬守長知は、
主命により家老横山大膳長知らによって誅殺された。
 

太田但馬は数多の戦場を経た剛の者であったから、斬りかかった家臣数名が、
切り殺され絶命、大怪我、横山大膳も危うく突き殺される寸前であった。

藩主前田利長の命であった。
 

利長の愛妾との密通を犯したとの咎による、とされた。
後日愛妾おいま他数名は、眼をえぐり取られ斬首という残虐な処刑が、
百名を超す家臣らの前で執行された。

前田利長、父利家のばさらな気質とは異なり、ひどく慎重で己の心持を、
滅多なことでは人に明かさない男であった。
親戚でもあり、関ヶ原の折も、大聖寺城、浅井畷の功は抜群であり、
家中の最重要人物でもある太田但馬を討った理由は、様々な憶測から、
悪狐の憑依なる伝説までも生んだ。

愛妾を寝とられた恨みというものが、一般的である。
男ぶりの良い太田但馬を、愛妾らが憧れ夢見る如く見つめる様子を、
利長が憎く思っていた、或いは己の功を鼻にかけ増長する太田但馬を、
誅するに至った、ともいう。

が、家康を嫌う太田但馬が、かねがね豊臣から徳川家に傾こうとする、
利長の政治手法にことごとく異を唱え、

家康への恭順の意を示すための生贄にこそ太田但馬が最適であった、

というのが真相ではなかろうか。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 加賀藩の礎、前田利長

 

 

 

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