未来への遺産☆ | げむおた街道をゆく

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信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

「瑞龍公世家」や「加賀藩史料」などによると、

加賀の太守・前田利長は、
弟の利常に跡を譲ってから、自身は越中の開発をめざした。

関野と呼ばれた沼地を高山右近に拓かせ、詩経から引用して高岡と命名。
「前田家長久のために、何とかして財政の基盤となるものを…。」
この頃病魔に侵されて臥せりがちだった利長は死を意識しつつ、高岡の整備を進める。
 

そして領内の優秀な鋳物師たちを集め、

五千坪近い土地と諸役免除といった特権を与えて優遇した。
それは高岡を工業都市として発展させようとする、

利長の決意の表れでもあった。

利長の死後、一時高岡は衰退したものの、利常たちの庇護で盛り返し、

金物加工をメインに越中経済の中心になった。
 

そして今でも富山県は銅工業やアルミ加工などにおいて、

日本一のシェアを誇る工業県の地位を守り続けている。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 加賀藩の礎、前田利長

 

 

 

ごきげんよう!