「ミカンが食いたい・・・。」
と洩らしたのは、前田利長である。
天正13年(1585)、父・利家から越中守山32万石を預かった利長だが、
少年期を信長の小姓として畿内で過ごした彼にとって、
北国での生活は退屈なものだったのか、突然こんなことを言い出したのだ。
(ちなみに紀州や伊予でミカンの栽培が始まるのは慶長期を過ぎてからで、
天正の頃は超高級品である。)
「・・・と、若殿が言っておられたが、この越中でミカンなんぞ手に入るのか?」
「まぁとにかく、方々に当たってみるしかあるまい。」
利長の近習たちは手分けしてミカンを求めたが、やはり京でも珍しい果実を、
北国で探すことはできなかった。
そんなある日、近習の一人がある商家に立ち寄ったところ、
菓子として見事なミカンを出された。
驚いた近習が亭主に利長の話をすると、亭主は四、五十ほどもミカンを持って来て、
近習に渡してくれた。
翌日の朝、山盛りのミカンを見た利長は大いに喜び、
四、五十もあるミカン全てを平らげた。
ところが、昼過ぎになって利長はひどい腹痛を訴え、病の床に着いた。
医師の懸命の治療も、功を奏さなかった。
「これはいかん。若殿に万一の事あらば、我らは責任を取って腹を切り、後に続こう。」
近習たちは行水をして身を清め、ジッと利長の側近く詰めた。
夕方になってケロリと治った利長は、襖越しに近習たちの会話を聞いており、
「なにをしておる? わしの腹ごときで、お主らが腹を切る必要などないわ。
早く帰って家族を安心させてやれ。」
と言って、早々に近習たちを解散させた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!