北信景という男☆ | げむおた街道をゆく

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南部利直の家臣に北信景という男が居た。
彼は名臣北信愛の甥で、南部盛岡藩の金山奉行を勤めた有能な人物である。

ある日、利直の食事に小石が混じっていた。
これに激怒した利直は小姓をしていた信景の子の十蔵に、

料理人の手打ちを命じた。


しかし十蔵、料理人の必死の抵抗にあって重傷を負い死亡してしまう。
これに信景は、

「元服前の若輩に命じる事か!」

と激怒し出仕しなくなってしまう。


これに利直も激怒、閉門処分とし職責を剥奪してしまう。
こうなると収まりがつかない信景はついに高野山へ出奔してしまうのである。

そして大坂冬の陣。
大坂城内に派手な甲冑を身につけ、

 ”南部の光武者” と渾名された南部信景なる人物がいた。
そう、北信景である。


彼は南部宗家血を引いているので、この名乗りは利直への当てつけである。
さらに彼は入城に際して、

弓500矢1万(祐清私記)とも鉄砲数百挺(篤焉家訓)ともいわれる膨大な装備品を持ち込んだ。
これらは金山奉行時代に‘不正に’貯め込んだ財産が元手であるといわれる。
 

もちろんこの信景の行動に利直は激怒。
従来、徳川への忠勤を示すとされる冬の陣へ強行参戦も、

信景を討つ為だけだったとする説もある。

さて、夏の陣終了後もしぶとく生き残った信景であったが、

ついに伊勢にて捕縛される。


盛岡藩に移送された彼を南部利直は直々に処刑した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ わんこそば、南部利直

 

 

 

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