真田式部清鏡の切腹☆ | げむおた街道をゆく

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出羽国羽黒山は修験の盛んな山であった。
羽黒山で重職にあった出羽真田家は武将の出であって、

行法の事に預からず山内の行政を司っていたが、
中には行法に優れた者もあった。

真田式部清鏡は、真田幸隆の子とも言われ、羽黒山で修験者となり醍醐坊を開いた。
また天正19(1591)年九戸政実の乱の折には、南部利直を助けたとされる。
 

慶長4(1599)年の頃、清鏡は檀那である利直と碁の賭けをして勝ち、

利直の娘を妻にする約束をした。
しかしこの約束を利直が果たさないので、

清鏡は南部家への面当てに、南部家の玄関で腹を切り果てた。
 

利直はその事に怒り屍を川に投げ捨てさせたが、
屍は川を逆流して三戸に流れ着き、

それ以来清鏡の霊が南部家へ祟りを成すようになった。
そのため、利直は浅岸薬師の境内に清鏡荒神として清鏡を祀り、

その祟りを鎮めたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ わんこそば、南部利直

 

 

 

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