上杉と最上が庄内支配をめぐり争っていたころ、
鮭延秀綱は三十歳ほどであった。
このとき、庄内に協力者が出たため最上義光は石高のより高い者よりも秀綱を選び、
1500人ほどをつけ庄内に先陣とし派遣した。
迎え撃つのは、本庄繁長勢3000。
打出川を挟み対峙する両軍。渡河地点と中州をめぐり両者ひかず、
射撃戦だけで、
一日が終わることもあるなど、降着した戦況となった。
数では劣る最上勢は善戦し、自軍は損害がないが敵をひとり出すときもあるなど、
よく持ちこたえていた。
いよいよ繁長が川を渡るかと見え、
秀綱は警戒し背後から回りこんで討とうと策を練ったが、
繁長はなぜかそのとき引き返し退陣。
ようやく戦も終わるかと思われた。
数が劣るもよく戦った、
勝ち戦として報告して最上に報告してもよいかなと秀綱が思っていると、
飛脚が最上から届いた。
その内容は、
「山形が大火事で本丸だけ残して、二の町、三の町、侍町、通町、みな焼けてしまった。
もう庄内攻めはできないので、和睦したら急いで引き返してこい。」
意外な幕切れである。
義光は国元への手紙で火の用心をさとしていたり、
山形の植木市も火事がきっかけとされているが、
これで大火事が裏付けられたというわけだ。
のちに、
繁長、「そういえば昔、庄内の北目で川を渡り敵を倒そうとしたのに、
敵がつけてまわり、
こちらの背後をついてきそうなので結局川を渡れないことがあった。
あのときの最上方は誰だったのだろう?」
某、「あれは鮭延秀綱です。」
繁長「おお、なるほど! かねてより聞いていたあの名高い武将鮭延か…。」
という会話があったとか。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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