秋田県雄勝と山形県最上は、険しい山地に隔てられており、現代も難所となっている。
中世においては、有屋峠という、さらなる険路を通らねばならなかった。
天正14年、横手の小野寺義道は数千の軍を率い、この有屋峠へ出陣した。
かつて、小野寺氏の版図はこの峠を大きく越えて広がっていたが、
5年前に麾下の鮭延秀綱が最上義光へ降り、失陥してしまう。
義道はその回復に打って出た。
当時、最上家は庄内でも上杉派との戦を抱えており、それに乗じた行動である。
対する義光も1万余をもって出撃。
有屋峠を占める小野寺軍、それを見上げる最上軍の対峙となった。
さて、両軍は地形の険しさに警戒していたが、小野寺家重臣・八柏道為が策を施す。
囮で最上兵を引き寄せると、鉄砲三十ばかりで高所から撃ちかけたのだ。
最上軍は大混乱に陥り、大勢の死傷者を出した。
しかも、庄内に上杉軍が進攻、大将の義光がそちらへ急行するという事態になる。
窮地の最上軍にあって、ある人物が積極策を主張した。
かつての小野寺配下、鮭延秀綱である。
秀綱は間道を使い、軽兵を小野寺鉄砲隊の側面へ迂回させて攻撃した。
これに呼応して最上軍も攻勢に出、小野寺軍は峠を支えきれず、敗退。
陣取りは逆転し、峠を最上軍が、小野寺軍はその下へと転落した。
以後、羽後情勢にも翻弄され、義道は二度と優勢に立つことはなくなった。
かえって、秀綱らが峠を越え、小野寺領を蚕食していく。
一つの峠をめぐる、明暗のお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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