十四歳で大宝寺家に 小姓として出仕☆ | げむおた街道をゆく

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鮭延秀綱は、鮭延城主・定綱の子として生まれた。
しかし二歳の時、父と兄・氏綱の争いに乗じた大宝寺義増が鮭延城をのっとってしまう。
 

父と兄に置き去りにされた秀綱は、そのまま庄内へと連行され、

十四歳で大宝寺家に小姓として出仕することになった。
父と兄は鮭延に戻ることなく没したが、二十一歳になった秀綱は器量を認められ、

大宝寺配下の鮭延城主となった。

その翌年、事件は起こった。
かねてより評判の悪かった大宝寺義氏に対し、家老の前森蔵人が謀反を起こす。
 

前森に反対する者はなく、

「もっと早くそうすればよかった。」

と皆口々に言う始末であった。
 

このとき秀綱はちょうど正月の挨拶ついでに、義氏のもとにいたのである。
秀綱は義氏の自刃に殉じるべく覚悟をかため、暗く放火された場内を探し回るが、
主君はいっこうに見当たらない。

視界が悪いので名乗りつつ進んでいった秀綱は、
名乗ったとたん思いがけぬ目にあった。
「我こそは鮭延源四郎秀綱!」
「何!」
敵はなんと、槍を捨てるとしっかりと秀綱を抱きしめてきたのだ!
「おまえは誰なんだ、はなせ!」
「放すもんかよ、おれは中村内記だ。」
「あっ、中村の叔父上。」
 

この男中村内記は、まだ幼く実父と引き離された秀綱を、

我が子のようにかわいがっていてくれたのであった。
内記は弟・孫八郎とともに秀綱を心配して二日間探し回ったがおらず、
あきらめかけていたところでやっとこうして見つかって喜んでいるのである。
「源四郎よう、あんな運の尽きた屋方に供をしてどうするんだよ。助かろうず。」
「あんたたちが助けたくたって、前森はそうは思わないだろ!

 後悔するだけなんだからはーなーせー!!」
 

秀綱は抵抗したが、怪我をして疲れ切ってもいたので兄弟に抱きかかえられて、

町屋まで連れて行かれた。
内記が前森にかけあって、助命嘆願をしているにも関わらず秀綱は殺気だっていた。
「よう、源四郎。おまえよく助かったなあ。」
「討手か!」
と、昔の仲間が様子を見に来てもこんな調子なので、まわりに誰も近づけないでいた。
 

孫八郎が、前森からもらった白米と薪を持ってきたところで、
「切腹を命じる奴にこんな日用品届けないよな。」

とやっと安心し、それから安眠したとのことだ。

命が助かった秀綱は、この数年後、最上義光配下となり、

八十五の長寿を得るのだがそれはまた別の話。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 鮭延が武勇、鮭延秀綱

 

 

 

ごきげんよう!