大坂の陣が終わったあと、
島津家久(忠恒)が、伊達政宗を伏見屋敷に尋ねた事があった。
政宗もこれを喜び様々に饗応する中、
家久は、
「御当家の片倉小十郎(重長)をこの席に呼んでほしい。」
と望んだため、政宗も早速、小十郎を呼び出した。
家久は小十郎に、
「今度の大坂表でのあなたの戦功は、比類ないものであった。
この刀は「当引長光」という名物で、
私が太閤殿下の御遺物として賜った物であるが、
あなたと今日対面のしるしに進ずるものである。」
と、刀を取って与えた。
しかし小十郎重長、
「誠に忝く思いますが、太閤殿下の御遺物を私に頂戴するというのは、
あまりに恐れ多きことです。
この御刀は主人政宗に遣わして頂ければ、私にとってもこの上なき喜びです。」
そう言って辞退した。
そこで家久は改めて政宗に贈ったと、片倉代々記にある。
この長光は天和三年になって、
伊達綱村より重長の孫の小十郎村長が賜り、それ以後、片倉家の重宝となった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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