山崎の戦いの時。
斎藤内蔵助利三は、最初から今日は総敗軍と覚悟していたため、
味方の敗走を見ても少しも屈せず、なんとしても神戸三七殿(織田信孝)と一戦して、
今日の恥辱をそそぐべしと心掛けており、
その子・伊豆守(利宗)と手勢を整えてまったく動揺せず、
静かに人数を進め山崎総構の東方の川を隔てて陣を立てた。
その川は大河ではないが、
近日降り続いた長雨によって水嵩は増え渦を巻いて流れた。
ここに三七信孝の陣中より、野掛彦之丞という者が名乗り、
ただ一騎馬を乗り入れ先に進んだ。
内蔵助の子・伊豆守16歳、これも斎藤勢よりただ一騎川へ乗り込み、
川中で1,2度打ち合うと見えたが、双方押し並んでむずと組み合い水中へと落ちた。
これを見て斎藤の家士が一同に伊豆守を救おうと川へ乗り込むのを、
内蔵助は大声を揚げて、
「武士の子16歳!
敵1人討てずして生きても甲斐なし!
ただ捨て置け!」
とこれを制した。
その間に伊豆守は野掛の首を取って下の瀬より岸に上った。
これを切っ掛けとして敵味方は、鉄砲矢戦となり討ちつ討たれつ喚き叫んで攻め戦った。
中でも内蔵助は大声を揚げて、
「私は利仁将軍(藤原利仁)の後胤、斎藤内蔵助利三という光秀股肱の者で候!
恐れながら、三七殿にとって御親の仇随一の者である!
御自身で私を御討ち取り下さるべし!」
と言いながら、
信孝の本陣へ父子手勢は必死になって切り入った。
その時、中川瀬兵衛清秀の2千5百騎が横合より打って掛かり、
斎藤勢を引き包んで討ち取らんとした。
これによって信孝は斎藤勢を散々に討ちなされ、
過半が討死したので、内蔵助・伊豆守父子も叶わずして、
一方を切り抜け跡をくらまし落ち行った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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