大坂冬の陣に於いて、大坂方は、博労淵、福島等の出城が幕府方によって敗れたため、
「天満、船場の両町も如何あるべし、
この上は両町をも(幕府軍に取られる前に)焼き払うべし。」
と、評議し、その方面に在った大野主馬に、
軍勢とともに大坂城内に引き取るよう言い送った。
主馬は、これを聞いて、
「我万夫に先達て横行の勇を振るわんと志した上は、
節に当たり義に臨み、命を惜しむべきではない!
然りと言えども、事に臨んで恐れ、謀を好んで成すのも勇士のする所である。
暫く船場の出城を退かん。」
と、十一月晦日に天満四町に火を放って、城中に引き退いたという。
或る記に、天満を自焼の時に、何れも旗指物等を、皆打ち捨てて城中へ引き退いた。
しかし塙団右衛門(直之)は少しも驚かず、
「自火なのか、もしくは敵方より火を放ったのか見届けるべし。」
と、馬に乗って出て篤と見定め、
「自火に相違なし。雑具は捨つるとも、馬物具を捨つるのは武家の恥である。」
と下知し、心静かに本町橋へかかり、城中に入らんとした。
ここは織田左門頼長の持口であった故、
その家臣である今中左馬助が罷り出て人数を改めていた所に、
織田左門も一騎駆けに馳せ来て、団右衛門を見ると、
「其の方の所為にて斯様に及ぶこと、言語道断である!」
と申した。
これに団右衛門は立腹し、
「如何程の軍陣を勤めたとしても、陣払も致さぬ先に、自火する法は承り申さず!
諸軍はこの騒動のために諸道具以下を捨て置き、その見苦しき有様は是非なき事である。
さりながら私の組は、兵具少しも取り落とさなかった。今後斯様の儀は御無用に候!」
と申したという。
大坂方の混乱した撤退を、嗜める塙団右衛門のお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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