小牧長久手の時の事である。
九鬼嘉隆は、最初織田信雄に属していたが、秀吉の勧誘により密かに寝返えり、
蟹江港へと船を廻した。
ところが蟹江は既に、徳川水軍の間宮酒ノ丞が、その船清洲丸にて港口を押さえていた。
この時点では九鬼の寝返りは知れていない。
嘉隆はいかにも友軍という振りをしつつ、
清洲丸に近づき、
「舳先を相手の船に軽くぶつけろ。」
と、命じ、ぶつかった。
双方の船が少々破損した。
そこで九鬼家の家臣・村田七太夫が、
「うっかり操船を間違えてしまい、大変申し訳ないことをしました!
そちらは大丈夫でしょうか!?」
と、謝罪のため小船に乗り清洲丸に向かった。
清洲丸では村田を出迎えるため、船頭の間宮が船側に出てきた、
「今だ。」
九鬼の船より鉄砲が一斉に放たれた。
田宮たち船側にいたものは皆撃ち殺される。
そしてこの混乱を利用し、九鬼水軍は蟹江港を制圧した。
このとき九鬼側の死者は、相手の船に乗り込んだために討たれた、村田一人であったと言う。
水軍と言うより、まさに「海賊」と呼ぶにふさわしい、そんな九鬼嘉隆の戦術のお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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