どうして、「天下を進ぜられましょう」と☆ | げむおた街道をゆく

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三好筑前守(義興)。

長慶嫡子。
摂津芥川に在城。

20歳ばかりで、病死致されたとの由を申す。

由座(遊佐か)・畠山(高政)が、飯盛の城へ押し寄せて、

長慶は少ない人数で籠城したため、

落城と極まるところに、筑前守は芥川の城でこれを聞き申され、

松永(久秀)と相談して、

「後巻致されるべし。」
と談合は極まった。

しかしながら、少ない人数のために成し難いため、

安宅摂津守(冬康)に、

「味方に加わりなされ。」

と三好下野(宗渭)を使者にして淡路へ差し遣された。

 

安宅は同心申されて、松永・安宅が先手となり、
筑前守は飯盛の後巻として出陣。

 

大敵を一戦で追い払い申された(教興寺の戦い)。

この時、筑前守18歳という。

松永と安宅が先陣を争い申された時の筑前守の裁判は肝を潰したとの由を、

三好因幡(為三。宗渭の弟)の話で承った。

この時に下野守が淡路へ参って帰り、筑前守は、

「安宅は味方を致しなさると申されたか。」

と、尋ねなされた。

 

これに下野守は申して、

「いかにも御同心です。しかしながら、安宅殿に似合い申さぬことを仰せられました。

『御合戦が御利運となったならば、どこの国を下されるのか。』

と御申しです。」

との由を物語り致した。

これに筑前守が、

「返事はどのように申したのだ。」

と尋ねなさると、下野守は、

「『御国はいずこなりとも御望み次第』と請け合い申しました。」

との由を申した。

すると松永はこれを聞いて、

「下野殿とも思えぬ返事を申される。どうして『天下を進ぜられましょう。』
と申されなかったのか。」

と申したという。

この由を側で承ったように、因幡は話申された。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 国家を懐くべき仁将、安宅冬康

 

 

 

ごきげんよう!