永禄の初めに、三好長慶は老衰に及び、天下の政務を左京大夫義継に譲って、
中の島に隠居する。
安宅冬康は、その老衰し給うことを悲嘆し、
保養のことを諌められた。
ある年の10月に、淡州より摂州中の島へ松虫籠を送られた。
「夏虫は弱きものですが、よく養う時には寒中まで生きています。
人は四季を送り寿命長きものですから、
よく養えば長命になるでしょう。」
と諌められると、長慶も感悦なされたと聞く。
忠と言うべし。
冬康の仁徳は民間の話題に残ることが多い。
乱世に生まれて鋒を携え、暇なき中で書を離さず、
和漢の故実を試みて道義を守り給うことは世に珍しき人才である。
天下は乱世にして人民は利を争って道を失い、
虎狼の業をなすことを憂いて読んだ歌がある。
「往古を誌せる文の蹟も悚し さらすは下たる世とは知らまし」
(古を記せる文の後もうし さらずばくだる世ともしらじを)
まことに感心をなすべき言詞である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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