長慶は17才のとき、これより3年の間、
求聞持の行(きゅうもんじのぎょう)を、行じる(ぎょうじる)と宣言した。
老臣たちが、一体何のために、と尋ねると、
長慶は、武道の誉れを得ることを願って、と答える。
老臣たちはそれを聞いて、三好家にお生まれになったからには、
武門の名利も果報も十分得ることができるに違いないのに、
なぜ荒行をなさる必要があるのか、と重ねて問うた。
長慶は答える。
ゆくゆく自分に名利も果報もあるだろうというのは、推量に過ぎない。
軍記には、新田義貞も推量を嫌ったということが書いてある。
自分はまだ若く、将来のことは一体どうなるかわからない。
わからければ、悪い場合に備えるべきだろう。
もとより、天の果報がある人ならば、祈らずとても幸運に恵まれるものだろうし、
逆に果報のない人は、祈ったところで叶うものでもあるまい。
これが天の理だ。
生まれつき果報に恵まれた人は、例えて言えば、自然の木のようなもので、
自然の木は、いくら風に吹かれても滅多に枯れることはない。
しかし、人が植えた木は、最初に添え木をしておいてやらねば、
少し風に吹かれても枯れてしまうものだ。
自分がこれから求聞持の修行をしようというのは、この添え木をするためのものだ。
そう言って長慶は、17才から行を始め、19才の6月に成就して、
さらにそれから年末まで、四国巡礼を行ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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