二人の息女は、方々流浪し☆ | げむおた街道をゆく

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越前への織田信長の侵攻により、朝倉義景が一乗谷を棄てて大野に退く時、

義景は福岡石見守に、二人の子を預けた。

 

そして、
「一人は、髪を下ろし、後々比丘尼として出家させよ。

もう一人の喝食は大坂(本願寺)との契約であるので、大坂に遣わすように。」

と言った。

しかし福岡は、
「私が二人の女子を預かり申すこと如何でしょうか?

私はただお供つかまつり、
死ぬことを一途に決めているのです。」
と反論したが、たって命じられたため力なく、

彼は急ぎ二人の女児を連れて宿所に帰り、
妻女にも告げず、一首の歌を書き付けて涙とともに出立した。

『今日出て 廻りあはずば小車の 此輪の内になしと知れ君』

二人の息女を馬に乗せ、中間二三人計りにて豊原寺を目指して進んだが、

野伏たちが集まり押し留めた。
福原は目的をありのままに伝えた。
野伏たちは聞いてきた、

「殿は何者か?」
 

「私は福岡である。」

これを聞くや野伏は言った。
「ならば通せない! 先年鳴鹿の村と公事(裁判)の時、そなたは彼らの奏者をして、
我が村は負けとなった。今参り会った事こそ幸いである、その時の返報申さん!」

 

たちまち村々より軍勢が出てきた。

 

福岡は今は叶わぬと思い、下人に持たせた薙刀を取って大いに戦い、討ち死にした。

その後、二人の息女は方々流浪し、喝食は後に本願寺門跡の妻と成ったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 越前の人、朝倉義景

 

 

 

ごきげんよう!