姉川の戦いの直前。
織田信長は、龍ヶ鼻に本陣を張り、総軍は横山城を取り囲んで攻めること急なり。
城中には三田村・大野木・野村・高坂、
その他宗徒の者どもが、少しも弛まず防戦するが、寄手は大軍のために叶い難く、
頻りに小谷へ加勢を乞うた。
浅井長政は、小勢ながら捨て置き難く、
8千余騎で、小谷より出勢して大寄山まで着陣した。
その時、越前よりも加勢に朝倉孫三郎景健の1万余騎が、26日に近江へ着陣する。
神君は23日に近江坂田郡に御着きになり、24日に、
信長の龍ヶ鼻の陣所へ御越しになって御対面された。
浅井方では越前の加勢が来ることに力を得て、
「明日必ず一戦すべし!」
と評議した。
長政の計策は、
「信長本陣の龍ヶ鼻まで50町あるので、
ただちに攻め掛かれば人馬は疲れてしまうだろう。
今夜、野村・三田村へ陣を移して、明日の夜明けに信長本陣へ切り入らん!」
とのことだった。
浅井の家人・浅井半助は、これに、
「信長は手早き大将なので、野村・三田村までの陣替は覚束なく思われます。
今少し軍勢の様子を御覧になるべきでは。」
と申した。
一方で遠藤喜右衛門(直経)は、
「長政殿の御謀はもっともなり。
是非一戦で勝負を決しなさいませ。
私は敵中に紛れ入って、信長と引き組み討ち果たしましょう!」
と申した。
長政は大いに喜び、27日の深夜に越前勢は三田村へ帰り、
浅井勢は主計村・野村に移る。
果たして半助の言葉に違わず信長は、
「敵方が終夜火を焚くのは、朝に合戦を心掛けているものと見た。」
と味方の備定めをされた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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