二条城の拡張工事にて☆ | げむおた街道をゆく

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永禄12年(1569)、三好三人衆による足利義昭襲撃事件があり、

美濃より急ぎ京に戻ってきた信長は、
将軍の安全のため、二条城の拡張工事を始めた。

その工事での事。

この普請は、織田信長と浅井長政の両者が引き受ける形となり、

信長側からは、
佐久間信盛、柴田勝家、常識的なほうの森こと森可成、

長政の方からは、

三田村左衛門大夫、大野木土佐守、野村肥後守が、それぞれ奉行となって進められた。

しかし、実際に普請を行うこの両家の足軽たちは、実に仲が悪かった。
織田方は去年の箕作城の攻めのおりの、浅井勢の働きが鈍かったと悪口をいい、

浅井側もそれに強く反発していた、そして、事件が起こった。

佐久間の侍達が何故かわざわざ、浅井の持ち場の方に水を捨てに来たのだ。

浅井側が、
「何故こっちに捨てるのだ。」と言うと、

「そのほう受け取りの丁場で捨てずに、どこへ水を持っていくべきなのだ。

何さ、浅井のぬる若者ども。」

挑発である。

 

これに浅井の足軽たちは、300人ほどが一斉にもっこの棒をはずし、

それを持って佐久間の足軽たちに打ちかかった。

 

佐久間の側も待ってましたとこれを向かい撃ったが、
浅井のほうが強く、たちまち追い立てられてしまった。
 

これを見た織田方の奉行、佐久間、柴田、森は、

「構わん!刀を抜いて懸かれ!」

と下知を出す!
 

それに頭にきた浅井側の三奉行もこの乱戦に加わる。

騒ぎは大きくなる一方。

浅井側が織田側を立売堀川まで追い立てると、

騒ぎを聞きつけてきた織田軍の物頭たちが加勢し、
逆に浅井勢を二条まで押し返す。

すると今度は浅井家中の者が200人ほど駆けつけ、

再び立売まで追い返した。

そこで双方、どうにか兵を引いて分かれた。

この事件で双方の死者150人。
「野戦でもこんなに死者は出ないだろうに。」

と、京の評判になった。

この日一日織田浅井双方は、臨戦態勢のままであったが、

翌日、将軍義昭のとりなしにより、
どうにか和睦したとか。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 江北の鷹、浅井長政

 

 

 

ごきげんよう!