遠藤喜右衛門の諫言☆ | げむおた街道をゆく

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永禄11年8月5日、上洛を開始した織田信長は7日、

馬廻の侍わずか二百四五十で、妹婿である浅井長政の待つ近江佐和山城に入り、

初めての対面を果たした。

このとき京童たちは、
『婿入りも無き先の舅入りとはこの事よ。』

と言いはやしたという。

その後各地の情勢報告が行われたあと、

信長一行は、近江柏原の成菩提院という天台宗の寺に座を移し、そこに一泊した。

 

この寺において接待のため長政から、

浅井縫殿助、遠藤喜右衛門、中島九郎次郎が、付けられた。

 

様々なもてなしに信長も非常に機嫌がよく、夜すがら打ち解け、酒宴の後就寝した。

これを見届けると遠藤喜右衛門は早馬に鞭を当てて急ぎ小谷へはせ帰り、

長政を諌めて申し上げるには、

「信長という人物は、大変に表裏の深い大将です。

彼の行跡をよくよく見れば、その知略の早いこと、
サルが梢を伝うようです。

我が浅井家を縁者として組み込み、こちらに参って懇切に言ってくるのも、
ただ上洛のための、当面だけの事です。

功成り名を遂げたならば、朝倉も当家も必ず敵とするでしょう。
また、終始信長の気に入るように出来るかと考えても、なかなか想像のつかないことです。
そうして信長の怒りを買った時に戦うことになったとしても、

必ず討ち負けて後悔しても手遅れとなります。

であれば、今夜柏原において、二百人ほどの供の者たちも皆町家に寄宿し、

信長自身は酔いつぶれて寝入っております。

彼の側には14,5歳の小姓2,3人が眠っているに過ぎません。

ここで、どうか私一人に仰せ付けください。

今夜中に柏原に罷り帰って、信長を安々と討ち取って見せましょう。

二百あまりの供侍たちも、大将が討ち取られればその上は、

我先にと逃げ出すでしょう。
 

それを追って美濃に入り、岐阜の城を攻めるなら、

城主はなく家督を継ぐ嫡男も幼少であり、彼の地の武士たちも、
我も我もと味方に参り、美濃・尾張両国は時を移さずして、

攻め取ることが出来るでしょう。
 

そうなれば、その威勢に乗じて六角親子を押し倒し、

帝都へ攻め上がって天下の仕置を助ける立場になることも…。
誠に当家の興廃は、ただこの一挙にあるのです!」

こう言葉を尽くして説得した。

 

これに長政はしばらく迷い、家老や一族を集めて密かに相談したが、

一同が言うには、
「信長はあれほど当家に対し懇切で、心やすく打ち解け、

頼みまいらせているではありませんか。
そんな良好な関係を失い、公方様の上洛を妨げ、

その上酔いつぶれて寝ている人を殺すというのは、
籠の中の飼い鳥を殺すのと同じ事です。

それに今のような時節に信長を討ち取れば、人望に背き、天の冥加も恐ろしく、

侍の本意が立ちません。
そんなことは、絶対にあってはなりません。」

長政もこの意見に同意し、遠藤の諌めを用いず、

彼に早々に帰って明朝も又接待をするようにと命じた。
 

しかし遠藤が重ねて申し上げる。

「天の与えることを取らなければ、災に会うと申します!信長は表裏の大将です!

必ず当家を押し傾けようとするでしょう。

その時、この判断が返って災いとなること、私には鏡に写したように見えるのです!
どうか、どうか私の申し上げたことにご同心ください!」

そう、涙を流して訴えた。

 

しかし長政は頑としてそれを聞き入れなかった。
遠藤も是非に及ばず、何事かブツブツと呟きながらその夜、柏原に引き返していった。

後にこれは信長の運の強さの現れだと言われた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 江北の鷹、浅井長政

 

 

 

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