里村紹巴は、足利義昭が都にいた頃には懇志な間柄で、
詩連句や和歌の御伽をして、
一日中傍を離れなかったほどだが、
いまは秀吉のもとで和歌の指南を務めていた。
心に義昭のことをどうしたらよいかと折々思ってはいたが、
公儀に忙しく疎遠になっていた。
しかし、秀吉の機嫌をうかがって義昭のことを取り成して度々申し上げるので、
秀吉もどうにかしたいものだと思ってはいたが、
天下の大将軍にして数代相続の的流なので、
並々の武士に申し付けては恐れ多いと思慮を巡らして、
兎角の計らいもなかった。
ある時、秀吉は紹巴を呼んで、
「義昭公のもてなしを誰に任せようかと案じ続けたのだが、
尋常の大名には差し障りもあろう。
毛利輝元ならば、名誉累代にして現在無双の大身だから、
これに預けることにしよう。」
と言ったので、
紹巴は、
「義昭公は大慶にお思いになることでしょう。」
と大いに喜んだ。
かくして義昭は移され、輝元は畏まって請待し様々に饗応した。
また備後深津に御館を造り、五千石の知行を附けた。
秀吉は、これを聞いて大いに感心し、
「これで身上を安心なさることであろう。
だが田舎では物足りなく、退屈で暮らし難いことだろう。」
ということで秘蔵の御局を義昭のもとへ参らせた。
義昭は秀吉の懇志を来世までも忘れ難く思った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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