義昭の最後☆ | げむおた街道をゆく

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さるほどに足利義昭公は、持病に癪があったのだが、

突然大きな発作を起こされて、世の常成らず苦しまれた。

 

されば御内の人々も、昼夜御前にあって看病した。

また毛利より派遣された御伽の僧たちが、
芸州にこの事を報告すると、やがて毛利から名医が派遣された。

 

これが医術を尽くして治療にあたったが、
前世の行いによって定まった寿命に限りがおとずれたのか、

日に日に御気色衰えられた。
 

人々は、

「これではどうにも成らない。」

と、今更ながら驚き嘆いた。

このような中、義昭公は、鑑首座という禅僧を御枕近くに召して仰せに成った。

「私はたまたま武将(将軍)の家門に生を受けたと言っても、

戒力薄くしてその徳備わらず、
そのため織田信長に一度救われ、厚恩謝し難く思っていたが、

やがて信長自身が時めくために、忽ち私を捨てた。

しかし秀吉がそんな私を情を以て労り、どうにかこうにか光陰を送っていた所、
毛利輝元よりは大分の扶持を加え参らせ、その上種々の懇志、この世成らず、

後世までも忘れないだろう。
この旨を心得ていてほしい。」

などと仰せに成ると、首座も涙にむせび、ややあって、
「上意の通り、つぶさに畏まりました。

さりながら、心細く思し召しに成ってはなりません。
御気色は未だ普段と変わりませんから、程なく御快気なされるでしょう。

今回は御持病がたまたま甚だしい発作を起こしたので、

いつもよりも弱らせているのです。」
そう励ました。

その後義昭公は侍女を召して、

「御料紙箱に色紙が2枚有る。ここへ持って参れ。」

と命じ、
「首座、お主がいつぞやに色紙を望んだことが有ったが、

ついとかくにして放置していた。
今はこの世の名残であるから、これを取って、形見にしてほしい。」

そう仰せられて、首座に下された。

首座は頂戴し、涙を流しながらそれを見ると、

そこに古歌が書かれていた。

 いずくにも こゝろとまらば すみかへよ
         ながらへばまた もとのふるさと

 朝露は きえのこりても ありぬべし
         たれかこの世に のこりはつべき

かくて2,3日あって、いよいよ衰弱されたが、

暁の頃に、監物入道(柳沢元政)と侍女を召して、
密かに仰せられること暫く有って、其後は仏号をひたすらに唱えられ、

明け方に眠るように臨終した。
 

紅顔は忽ち変じて青色の肌となって生気を失い、浮世の面影も無くなってしまった。
無常のならいでは有るが、あわれに儚く覚える。
御遺言にまかせて、火葬にされ、御骨を拾い上げ、高野山へと納められた。
御戒名は、入道なされた時の号『霊陽院昌山道休大居士』と申し奉った。

こうして御後のいとなみは、このように執り行われ、

そうして御中陰が過ぎると、御局は京へと送られた。

万事、御遺言にまかせて行われた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 最後の将軍、足利義昭

 

 

 

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