1558年2月、改元の詔が出され、元号が、”弘治”から、”永禄”に改められた。
通常、改元が行われた場合、
朝廷から幕府に通達され幕府が諸経費を負担していた。
しかし当時将軍であった足利義輝は、
三好長慶との戦いに敗れ、近江国朽木谷で5年近く亡命生活をしていた為、
朝廷は改元した事を義輝に連絡しなかった。
何も知らない義輝は失墜した将軍の権威を復興すべく、
各地の有力大名に助力を求めて書状を送っていたのだが、
書状の中でも弘治の元号を使用し続けていた。
6月になりようやく改元の事実を知った義輝は激怒し、
朝廷に抗議をするが、後の祭りで、
書状を受け取った大名達は改元された事すら知らない将軍を侮り、
その権威はさらに失墜してしまったのであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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