肥後国に☆ | げむおた街道をゆく

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豊臣秀吉は、九州征伐を終えると思った。
「肥後の国を平和な人間に与えた場合、たちまち一揆が起こること必定である。
であれば佐々内蔵助(成政)を召し出し、この国にはめ置こう。」

そして佐々成政を召し出し、抜け目なしに一国を宛てがった。
また肥後国内の一揆の四人には、1万2,3千石づつ与えた。

その上で秀吉は、一度没落した佐々成政の人数は、方々に散っているであろうと考え、
『成政を召し出すので、成政がかつて抱え置いていた者達は、

彼は国大名になるので帰ってくるように。』
との制札を、九州から京、堺まで立てた。

 

このため成政の旧家臣は、残らず成政のもとに戻り集まった。

また、武具鉄砲以下は越中を没落した時、居城であった富山に残し置いていたのを、
秀吉が前田利家に申し付けたところ、諸道具は成政が残した時と少しも違わず、

そのまま大阪に差し上げられた。

それから、成政は肥後に船で向かった。

大阪より2万石の米が、転封の費用として援助された。

また銀子千枚、鞍置き馬50疋が成政に拝領された。
こうして成政は肥後国にはめ置かれた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ さらさら越え、佐々成政

 

 

 

ごきげんよう!