佐々成政が、いわゆるさらさら越をして、
密かに浜松の徳川家康の元に辿り着いた時のこと。
家康は、家臣の高力與次郎正長を召して、
「佐々成政という人は大変な人傑である。
ああいった人物とは知人と成って、その様子を見習うように。」
と命じた。
さて、家康は佐々に、
「私は元より秀吉と遺恨はありません。しかし信雄殿の衰弱を見るに忍びなく、
故織田殿の旧好を忘れかね、わずかにこれを助けたのみなのです。
ですが、信雄殿が秀吉と和議を結んだと聞けば、
私のこれまでの信義も、詮無きことに成りました。
さりながら成政殿が旧主の為に義兵を起こすというのであれば、
私からも援兵を出しましょう。」
そう言って懇ろに饗した。
この後、成政は家康との物語の中に、家康を武田信玄に、自身を上杉謙信に比して、
大いに自負の念を披露した。
酒井忠次は、この佐々の自負を聞いて大変に腹を立て、
「ああいう馬鹿者に御加勢なさることは無用です!」
と家康に詰め寄った。
しかし家康は、
「彼は元より大剛の士であるのだから、
その勇気に任せて、失言をしてしまうのも仕方がない。
そんな事を気にしてはいけない。」
と語った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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