天正8年秋、富山では長雨が連日止まず、大いに出水した。
旧来、神通川は呉服山の麓を流れたが、この時から河身は東に転じ、
富山城の後ろに傾注したという。
また常願寺川も氾濫して富山城を浸し、
家屋は漂流して人馬の溺死も数え切れなかった。
城主・佐々成政は大いにこれを憂いて、その後の水患を除こうと望み、
被害地を巡検して大いに治水に力を尽くした。
成政は馬を馬瀬口に進めて自ら人夫を指揮し、土石を運搬させ、
記念として巨岩に自分の氏名を刻み、これを河底に埋めて、
その上に堅固な石堤(敷石25間)を築いた。
また新たに洪水のために分派した支川を鼬川と名付け、
原野を開墾して禾穀を植えさせた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!