山崎の合戦の時、高山右近は自陣にて薙刀の鞘を外し、床几に腰を掛け、
未だ合戦に至らないところに、
高山の家臣の甘利という者、彼は高山に寵遇されず、末座にしか居なかったが、
高山の前に進み出て、跪いてこう尋ねた。
「私には今ここに、二つのうちどちらを選ぶべきか決しかねていることがあります。
恐れながら殿にその判断を承りたいのです。」
「それは一体何事か。」
甘利は言った。
「勇智の名のある者は、遠国、他家にあっても伝を求めて家に招き、
高知を賜って恩顧薄くありません。
いわんや元よりこの高山家の家臣たちは、
殿にとっての干城になるべき人材だとご覧になれば、
人並みの御言葉をもかけられます。
であれば、私が人数成らぬ体にて捨て置かれているのは、
そのような御用に立たない者と思し召されているからでしょう。
今、私が敵を斬り陣を破れば、それは殿のお眼鏡が違っていた事となり、
これは不忠と言うべきでしょう。
だからといって、攻めかかるのに遅れ、退却することに先立てば、
武士の名を失い、父祖を汚し、これは不孝となってしまいます。
不忠の罪と不孝の罪、いずれが重いのかと、案じわずらっているのです。」
高山は甘利をじっと見ていたが、一言も答えなかった。
そうしている内に、敵すでに近くなると、甘利は、
「たとえ不忠の罪であったとしても、拾い頸をし、敵の行く手を遮るくらいであれば、
そのように悪しく捉えられる事も無いでしょう。
そして怯弱不孝の罪は重ねて補い難いものですから、
あちらを捨てこちらを取りましょう。」
そう言うと味方に先んじて攻め入り、高山家の一番槍を合わせ、兜首を獲った。
また明智光秀の軍が敗北し逃走を始めると、
これを追って光秀の甥である明石義太夫を討ち取った。
直諫すべき時でなければ、みだりに主君の非を言うべきではない。
甘利の言葉はまことに無礼である。
しかしその無礼を聞き届け、
自ら反省することが出来なければ暗君と言うべきである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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