1582年6月、本能寺の変のおり。
高山右近は明智光秀の配下として中国攻め、
羽柴秀吉への援軍として居城の高槻を後にして西に向かっていた。
高槻からの急な知らせで信長の死を知った。
武将の直感から、これは光秀に先は無いと踏んだ。
が、高槻に置いてきた自分や家臣らの家族が質に取られることを気に病んだ。
あの荒木村重謀反の再現になるのではと。
しかし光秀の動きは鈍く、いっこうに高槻の城下を押さえる気配がない。
ますます光秀の知力の鈍りを右近は感じた。
そんな折り、光秀からの加勢の依頼状が届いた。
キリシタンである右近のことを考え、
彼の師であるオルガンテーノ司祭の手紙も添えられていた。
日本文では明智光秀への加勢を強く勧めるものであった。
同時にもう一通ポルトガル語の手紙があった。
司祭はイタリア人であったが、日本語,ポルトガル語も堪能であった。
そこには、京都での情勢、および光秀への加勢は義に反すると同時に政治的軍事的にも、
破滅であることが記されていた。
光秀側には、ポルトガル語を解するものはいなかったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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