天正13年(1585年)、キリシタン大名高山右近は、
摂津高槻から播磨明石へと転封となった。
「アイツが、やってくる!」
高槻での徹底したキリスト教政策は、
すでに有名になっており、明石の寺社勢力は大混乱に陥った。
僧侶たち、「俺らは確実にやられる!」
実際、右近は赴任するとビシバシ寺社を弾圧し、
モリモリとキリスト教を布教し始めたのだった。
僧侶たち、「このままではいかん!」
意を決した僧侶たち、ありがたい仏像を船に乗せ、
はるばる大坂まで直談判に訪れた。
秀吉、「右近は殿様なんだから、好き勝手してもOK。訴えは却下。」
僧侶たち、「・・・へ?」
秀吉の機嫌が悪かったのか、僧侶たちのプレゼンがしょぼかったのか、
訴えを退けられただけでなく、運んできた仏像は没収となり、
僧侶たちも明石から追放となってしまった。
高山右近の明石統治はわずか2年ほどで終わるが、
それでも新規信者2千人を開拓してたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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