天正12年(1584)、小牧長久手合戦の直前、
美濃兼山の森長可の元に、羽柴秀吉から尾藤甚右衛門(知宣)、細野主計が遣わされた。
秀吉より、
『自分に味方すれば駿河・遠江を与える。』
との条件を知らせに来たのだ。
これを聞いた森長可は言う。
「甲斐もよこせ。」
細野主計はこれに、
「こちらに出発する前、上様(秀吉)は我らに、
『武蔵守(長可)は大気者なので、この条件に甲斐も加えてほしいと望んでいるだろう。
だが、そのことをあいつに言わせないようにしろ。
口に出してしまっては、こちらとしてもあいつに与えないことが、
そして向こうも与えられないことが心に、
引っかかってしまうだろう。
甲斐については既に、与える約束をしている者が居るのだ。』
…そう、おっしゃいました。」
森長可はこれを聞きその意味を悟ると、ハラハラと涙を流し、暫く物も言わなかった。
そしてようやく、
「それならば、我らの本領である兼山と駿遠を下さるように。」
と言ったが、これに尾藤甚右衛門。
「その御訴えは後にして下さい。今はとにかくこちらの出した条件である、
駿河遠江の両国だけを御拝領する事を承諾して下さい!」
結局、長可はこれを受け入れた。
両使が帰った後長可は側にいた小姓に、こんな事を言った。
「さっきの条件でもわしに不自由はないのだ。
だが駿遠甲の三ヶ国を手に入れれば、次節が来れば、
其の方達にも小城の一つでも持たせることが出来たのに、
お前たちにとっても運がなかった。」
そう悔しそうに言ったのだという。
これを聞いた家臣たちは、長可が自分の将来に、
大いなる志を持っているのだと、察したそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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