汝も今より武蔵と名を☆ | げむおた街道をゆく

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織田信長卿が、天下を掌の内に握り給い、

内裏の修理のため伏見に御座を据えられた。

ここで国々の諸大名は、残らず上洛するに於いて、

瀬田の橋に関を置いて、通過する者の家名実名を尋ねた上で、
通過する旨を仰せになった。

森勝蔵が家中の面々を引き連れ、瀬田の橋に差し掛かられた時、

関守の侍たちが立ち出て言った。
「上意であるので、下馬をして家名実名を名乗った上で通られよ。」
 

勝蔵は、これを聞かれると、
「急いでいるので御免有れ。濃州の住人森勝蔵と申す者である。

御帳へ書くのはそちらに頼む。」

そう言い捨てて通ろうとした所、関守の侍たちは勝蔵の馬の口にすがり、
「そのような事では通せない! その上乗打することは出来ない!」
そう言って鑓長刀を出し、

番所は立ち騒ぎ色めき、「ここは通さじ。」と伝えた。

勝蔵はこれを見て、
「元来心得ない者達だ。乗打とは何事だ!

公方の御前であればまだしも、汝らの如き侍の分際で、
この勝蔵に下馬だと!

推算なり!」

と太刀を抜き、二、三人の首を打ち落とし、諸鐙を合い懸け通られた。
 

関守の侍たち大勢がこれを追いかけ、大津膳所の町口の木戸を早く打ち閉めよと呼ばわった。

これに町人共が両所の木戸を打とうとしたが、

これを見た勝蔵が、

「それ侍共、火を懸けよ!」

と宣うた所、町人たちは驚き木戸を開いた。

そこから駒に白淡噛ませ、伏見の御殿に着くと、直ぐに御前に罷り出て、

瀬田での事を委細言上し、切腹仕る覚悟の旨を申し上げた。
 

これを聞いて信長卿は、うち笑わせられ、

「昔五条の橋にて人を討ったのは武蔵坊であった、汝も今より武蔵と名を改めよ。」

と、誠に御機嫌にて仰せになった。


満座の人々も、

「実に忠ある武士のためしかな。」

と羨ましく思った。
 

その年の内に侍従の位に上り、森武蔵守長可と申された。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 鬼武蔵、森長可

 

 

 

ごきげんよう!