織田信長卿が、天下を掌の内に握り給い、
内裏の修理のため伏見に御座を据えられた。
ここで国々の諸大名は、残らず上洛するに於いて、
瀬田の橋に関を置いて、通過する者の家名実名を尋ねた上で、
通過する旨を仰せになった。
森勝蔵が家中の面々を引き連れ、瀬田の橋に差し掛かられた時、
関守の侍たちが立ち出て言った。
「上意であるので、下馬をして家名実名を名乗った上で通られよ。」
勝蔵は、これを聞かれると、
「急いでいるので御免有れ。濃州の住人森勝蔵と申す者である。
御帳へ書くのはそちらに頼む。」
そう言い捨てて通ろうとした所、関守の侍たちは勝蔵の馬の口にすがり、
「そのような事では通せない! その上乗打することは出来ない!」
そう言って鑓長刀を出し、
番所は立ち騒ぎ色めき、「ここは通さじ。」と伝えた。
勝蔵はこれを見て、
「元来心得ない者達だ。乗打とは何事だ!
公方の御前であればまだしも、汝らの如き侍の分際で、
この勝蔵に下馬だと!
推算なり!」
と太刀を抜き、二、三人の首を打ち落とし、諸鐙を合い懸け通られた。
関守の侍たち大勢がこれを追いかけ、大津膳所の町口の木戸を早く打ち閉めよと呼ばわった。
これに町人共が両所の木戸を打とうとしたが、
これを見た勝蔵が、
「それ侍共、火を懸けよ!」
と宣うた所、町人たちは驚き木戸を開いた。
そこから駒に白淡噛ませ、伏見の御殿に着くと、直ぐに御前に罷り出て、
瀬田での事を委細言上し、切腹仕る覚悟の旨を申し上げた。
これを聞いて信長卿は、うち笑わせられ、
「昔五条の橋にて人を討ったのは武蔵坊であった、汝も今より武蔵と名を改めよ。」
と、誠に御機嫌にて仰せになった。
満座の人々も、
「実に忠ある武士のためしかな。」
と羨ましく思った。
その年の内に侍従の位に上り、森武蔵守長可と申された。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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