1578年、河内の国人、三箇頼照・頼連父子が毛利氏に通じたとの噂が流れる。
噂を流したのは若江三人衆の一人・多羅尾綱知。
三箇頼照がキリシタンであり、多羅尾がキリシタン嫌いであったからと言う。
噂を耳にして激怒した織田信長は、
佐久間信盛に与力の三箇氏の処刑を命じた。
信長の命令にはいかなる異議も釈明も許されず、
そのまま言葉通りに遂行する習わしであったにも関わらず、
信盛はすぐに頼連を連れて上洛、信長に面会してまずは取り調べが必要だと説得した。
信長も了承して取り調べが行われることになり、三箇父子の無実が明らかになった。
三箇父子の危機は去ったように思えたが、
多羅尾綱知は諦めず讒言し続けたため、信長は再び処刑の命令を下した。
この時も信盛が信長と直談判、
説得して翻意させたために三箇父子は救われたのであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!