播知釜☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

天正5年(1577)、松永久秀が信貴山城に滅びると、

織田信長は、この信貴山攻めを行った佐久間信盛を呼び、
「これまでの功績と合わせ、播磨一国を与える。」
と伝えた。

 

この頃、佐久間信盛は、畿内を始め尾張、西三河などに多くの所領と配下与力を持ち、
これにさらに播磨一国まで加われば、織田宗家に優に対抗できるほどの勢力となる。
当時の佐久間信盛への信長の信頼がどれほどのものか、よく分かる話であろう。

が、信盛はそれを断った。

「所領は要りません。それよりも…。」

信長所秘蔵の茶道具の一つ、古作の播知釜を望んだのだ。

「それは…。」

と信長も躊躇したが、信盛の功績に鑑み、ついにこれを与えた。

後、佐久間信盛はご存知のよう追放される。

そしてこの播知釜は、信盛の遺品として、息子信栄に伝えられた。
信栄は高名な茶人と成ったが、

この父の形見の播知釜で、よく茶を立てたとのことである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 退き佐久間、佐久間信盛

 

 

 

ごきげんよう!