長篠の合戦の前のこと。
信長は佐久間右衛門(信盛)と毛利河内守(秀頼)に、
徳川家康への加勢として長篠に出陣すべきかどうかを尋ねた。
毛利河内は武辺の誉れある者であり、当時岡崎に置かれ、
佐久間は分別厚き者で、彼は長澤に置かれていた。
毛利河内は、
『今回出陣した場合、甲州の者一人に見方十人の積りで懸ったとしても、
必ず味方の負となるでしょう。出陣することは必ず無用です。』
と書面で返答した。
佐久間からは、
『甲州勢は強く、見方が負けるのは疑いのないことです。
ですが、加勢に出陣されることこそ、正しいと考えます。』
と返答した。
信長はこれを見て、
「毛利河内などは武辺者であるのに、どうしてこのように申すのか?
とにかく書面では埒が明かない。
両名ともこちらに出てきて、直接自分の口から説明せよ。」
と、御小姓である津田於杉を以って召喚させた。
毛利河内が申し上げたのは、初めの通り、負ける戦であるので出陣は無用である、
との事であった。
佐久間が申し上げることには、
「今度は三河の地においての合戦です。
その上、今度加勢も送らず徳川家康殿が負けられれば、
彼は武田の旗下と成ることでしょう。
であれば、この方面の味方の手は薄くなり、
武田が家康殿を配下として三河遠州を平定し、
我らに向かってくれば、これは大きな危機となります。
この想定から、今回は例え負けるとしても、
加勢に出陣したほうが良い、と考えるのです。」
信長はこれを聞き、
「それは面白い想定だ。」
と感想を述べたが、この時佐久間は、
「ではありますが、是非合戦にも勝ちたい物ですので、
勝利を得られるよう拙者にお任せ頂きたいのです。
私に一つの才覚が有ります。
しかしながらこれまで甲州に心を通じた者が無いので、
証拠として起請を書き、その上で甲州の長坂釣閑、跡部大炊助に金を取らせて、
たらし込みたいのです。」
信長は、
「それは尤もなことだ。たらしこむためなら何であっても与えよ。
ただ太刀を取らせるのは、
これは人も見るものであるので、この脇差を与えよ。」
と、脇差を佐久間に渡した。
佐久間信盛は、これを甲州に差し出し、
『私は今回の合戦、必ず我々が敗北すると信じております。
私は以前より、内々に武田勝頼公に志を持っておりましたので、
勝頼公に御奉公申し上げたいのです。
もしこのお頼みを許して頂けるにおいては、
今度の合戦で我が方に攻め懸かってこられれば、
我が部隊は必ずわざと負けを装い撤退するでしょう。
私の申し上げた通り、どうかお心得下さい。』
これを見た勝頼の寵臣である長坂・跡部は佐久間の言うことを信じ、
『何時でも其方のことは請け合う。』
と固く約束をした。
これによって長篠の合戦では、
両人は此の方から敵に無理に攻めかかれば敵は相違なく敗軍するのだと心得、
勝頼に、「川を越えて攻めかかるべきです!」と進言した。
逆に織田方は、この予定を以って柵を形成し、敵を思い通りの場所へと引き付け、
ついにこの合戦に切り勝ったのである。
ちなみにこの時調略に使った脇差は、8年後の甲州滅亡の時に取り返したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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