永禄12年(1569)、三好三人衆の襲撃を何とか防いだ織田信長は、
将軍足利義昭の居城として二条城を建設。
これをわずか70日で終えると再び岐阜へと戻ることとなった。
この時、将軍・義昭より信長に、地位が高く、武芸達者な者を一人残していって欲しい、
との願いが届けられた。
信長は、
「委細其の意を得奉る。」
と了承したが、誰を残すかは即答しなかった。
さて、この事について織田家中では、
誰が残されるかについて大いに予想が盛り上がった。
「地位が高く、又武略に通じておられると言えば佐久間左衛門尉(信盛)殿であろう。」
「いや柴田修理亮(勝家)殿ではないか?」
「ここは丹羽五郎左衛門尉(長秀)殿ではなかろうか?」
そのような名前が取り沙汰される中、信長が選んだのは、実に意外な人物であった。
「木下藤吉郎を残す。」
この決定に、織田家中は激高した。
「よりによって、あんな出自も定かでないような奴を、このように重大なお役目に!?」
信長の思いもよらない選定に対し、怒りや不満が渦巻いたのだ。
と、その時、
家中の不満の言葉を聞いた佐久間信盛が、このように言った。
「信長様の人物を見る目が、今まで間違っていたことがあっただろうか?
特に今回のような重要な役目を任せる人物の選択は、
必ず当たっていたと私は記憶している。
そのような信長様の判断に対し、我らのような小智小才の人間が、
当否を批判するべきではない。」
そう、冷静に語った。
これには満座言葉を無くし、
その後家中に、この人事に否を言う人間はいなくなったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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