しかしながら、嫡子の明成がいる☆ | げむおた街道をゆく

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寛永四年三月十四日、

加藤嘉明は新恩二十万石を賜り、松山から会津への移封を命じられた。

この時、嘉明は、

「かたじけなき恩命を拝受いたしましたが、会津は枢要の地でございます。
しかしながら、今となっては家臣の武事に馴れた者も、

すでに亡くなってしまいました。
この地を守る役目に、おこたえすることができません。

できることなら、松山にいたく存じます。」
と、これを辞退した。

 

これに対して、将軍、「しかしながら、嫡子の明成がいる。
彼がどうしてお前に劣るだろうか。無理に辞してはならない。」

との仰せがあったので、
嘉明はふたたび断るまでもなかった。

 

そして会津に移り、四十万石を領して若松城に住んだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 沈勇の士、加藤嘉明

 

 

 

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