ある時、武田晴信が、山本勘助に、このようなことを問われた。
「他国を占領した際、その国の侍達を皆斬り捨てるか追放をし、
一人も召抱えることなく元からの自分の配下達だけに、
その国の知行を分けるという事はいかがであろうか?」
勘助、これに答えるに、
「それはその大将が手柄を誇り、将来への配慮もなく、
外聞を気にしての浅はかな判断だと申せましょう。
その措置には先ず、国持ち大名として無くてはならない慈悲の心がかけております。
これでは天より憎しみを受け、必ずや災いを呼ぶでしょう。
私もそのような例を、いくつも見聞きしております。」
又、晴信は問うた。
「関東の上杉憲政の様子はどうか?」
「はい。憲政は新規の人を召抱え大切に扱います。
しかしこれは、そう言う外聞を大切にすれば、
各国各郡から四方にこの事が宣伝され、諸国から大いに人が集まってくることを、
期待してのものです。
人多く集まり憲政に奉公すれば、関東管領としての上杉憲政の威光が上がり、
北条氏康やその支配下の者たちもこれを恐れる。
そう言う目論見の元に、大身の親類、或いは遠国の牢人がやってくれば、
これを抱え厚遇しているのです。
このため上杉家中では新参の者が幅を利かし、知行を過分に取り、働いております。
ですが、そのせいで譜代の人々で、上杉家のため熱心に働くものは、
十人に一人もいないという有様になっております。」
晴信は、これを聞いて笑い、
「憲政は後先を考えず新参を厚遇するため、古参の者は恨みを抱いて役に立たず、
新参は思い上がって主君を軽んじているため、これも役に立たない。
それで双方忠功を怠る。
そんな事だから北条氏康の少数の兵に切り崩され、合戦に敗れるのだ。
憲政のやり方は、下手糞な医者が工夫を間違え、薬を毒にしてしまったようなものだ。
『薬は人を殺さぬ、医者が人を殺す。』
と言うやつだな。
大将の人の使い方が悪ければ、家臣もまた悪くなる。
世の中にはそれを勘違いをして、家臣が悪くなった事を、
家臣の責任だとする者達がいるが、
この武田晴信は、絶対にそのようには考えないと、御旗盾無に誓おうぞ。」
と、仰った。
この晴信の言葉に、勘助、かたじけなく、感じ入ったとの事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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