武田信玄の家臣として知られる山本勘助は、
主君の命により、河内国の三好勢の様子を探りに行った。
三好の本拠地の小山城の城下にやってきた勘助は、
正体を悟られぬために名前を浅野文吾と偽り、
潜伏中の生活のためにうちわを作ることにした。
勘助の作るうちわは丈夫で柄を下に置いても倒れず、
涼しい風を送ることに優れていたのですぐに評判となり、
人々は珍しがってうちわは良く売れた。
勘助はおよそ二年の間、うちわを作って売りながら河内の国の様子を調査した。
無事に調べ終えた勘助はいよいよ甲斐の国に帰ることにして、
帰り際に城下で世話になった家の者に、
自分の正体を明かし、世話になった礼としてうちわの作り方を伝授した。
その家の者たちはその後、浅野文吾の名を取って「浅野屋」という屋号で店を開いて、
うちわを売り出した。
それは「小山の勘助うちわ」と呼ばれてこの地方の名産品となった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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