朝日重政☆ | げむおた街道をゆく

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朝日丹波(重政)は、もと菅沼に仕えていたが、

秀康卿の家臣となり、その息子・千助は、秀康近習となっていた。
 

あるとき千助に粗略があったため、

秀康卿は、「汝は用にたつまじき者かな。」と言ってしまった。
 

千助は、

「殿に、用に立つまじきと言われた以上は、我が運の末である。一日も長らえてはならぬ。」
とたちまち自害してしまった。
 

それを知った秀康は大いに驚き、

丹波に、「愁嘆の折ではあるが、まかり出よ。」と仰られた。
 

丹波が御前に罷り出ると、
秀康、

「我が、用に立つまじきと言ったのは、決して武のことではなかったのだが、

千助がそのように受け取ったのも道理である。
我が一言であたら勇士を失った。

汝に対面して罪を謝するに言葉もない。
その方はほかに男子も持たないゆえ、

我が愛子・国松をその方の養子として家を継がせてはくれまいか。」
 

丹波、

「千助は少年とは言いながら、かりそめの折檻を苦にして自害をした以上、

それは不忠であるため愁嘆の必要もありません。
それなのにこうして御前に出られ、国松君を養子にいただけるとの御言葉、

身に余る幸せにございます。
しかしそれがしは不肖の者なので、おそれながらお断りします。」
と何度も断ったが、秀康卿は承知しなかったため、ついに父子の契約をなしたそうだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 越前松平家宗家初代、結城秀康

 

 

 

ごきげんよう!