結城秀康が、越前を拝領した頃の話である。
北条家の浪人に、関根織部という者がいた。
彼は武勇の侍として有名であり、
秀康は彼を家臣として招こうとした。
が、
「わたくしはかつて、北条氏直様に従って高野山に登ることが出来ませんでした。
それゆえ私は自分を羞じ、世間から隠れて生きております。
このような私がいったい何の面目があって、再び世に出て、
あなた様にお仕えする事が出来るというのですか?」
たちまち断られた。
だが、それを聞いた秀康はますますこの関根が気に入った。
秀康は、利よりも義を尊ぶ人間が、何よりも好きなのだ。
「関根殿、人というものにはそれぞれ、出来る事と出来ない事がある。
失礼ながら頭を丸めて山に登ることは、あなたには不向きな事だ。
あなたは勇者である。
戦場に出て戦功を上げる事、これこそ貴殿が得意とすることであろう。
今、貴殿が世に出て私に仕えるという事、それはあなた一人の利のためではない。
あなたが私の下で得意な所を存分に発揮すること、
それはそのまま天下の為の備えとなる。
そう言うことではないのか?」
そう説得され、関根は深く感じ入り、秀康に仕えると申し上げた。
このような事があり、秀康の士を愛する心が伝わったため、
世の、天下の役に立ちたいと望むものは、
知行の多少を気にせず先を争って秀康に仕えようと、越前へと集まった。
毎日のように移り住む者が増え、越前は秀康が入封してそれほども立たない間に、
それまでの疲弊していた雰囲気が一変した、と言うことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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