関ヶ原の戦いの時。
結城少将秀康卿は、宇都宮の御陣を召し、
会津の上杉景勝に対する押さえとして置かれた。
秀康卿は当時二十七歳であったが、
勇猛さは御父家康公、御養父秀吉公に似られたのか、
使者二人を景勝に遣わされ、
「この度、京都大乱に付き、家康公はこの表を引き払い上洛されました。
留守居として私はここに罷り有ります。
安閑として日を送るのは待遠ですので、貴殿と一合戦仕りましょう。
御同心であるのなら、私がそちらに取り掛かるか、
又はそちらから此の方に御出馬されるのか、
御返答次第にいたしましょう。」
このように仰せ遣わされた。
景勝はこの返事に、
「御使、忝なく存じ候。
我らは輝虎以来、人の留守に仕掛たことはありません。
御所が御上洛に付き、御留守として貴殿が御在陣との事ですが、
何にしても似合の用事を承るものです。
一戦の儀は、重ねて御所がこちらに出張なされた時に、先手をなさって下さい。
その時、一戦仕りましょう。
只今、御所御留守の間に、若き人が居る所に取りかけるような事は、
中々思いもよりません。」
と返答した。
すると此の頃の雑説はたちまちに止み、諸人は秀康卿を褒め奉った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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