本多佐渡守(正信)は、息女が死去して、悲嘆の最中から評定場へ出て、
御用を心得なさったため、
「佐州は未だ御愁傷のうちに、御出になられるのですか?」
と、挨拶致された方がいた。
佐渡守はこれに、
「どうして娘が1人死去致し申したからといって、御用を欠くべきことでしょうか。」
と、申されたという。
大久保相模守(忠隣)は息男・加賀守(忠常)が死去した時、
強く悲嘆し、それからは御奉公も勤め得ないように、思いなさったという。
佐渡守と気持ちが異なっている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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