本多正信が、ある時、家司の忠義ということについて、
息子・正純にこんな事を言った。
「忠に似た不忠、というものがある。
例えば石田三成という人について、
彼は大風雨のあった夜に、御城廻りの破損のことを一々見て、
明けた卯の刻(午前5時頃)には秀吉公に報告を提出した。
普請奉行から正規の被災報告が上がってきたのは、
大きく遅れて巳の刻(午前9時頃)であった。
これは普請奉行の面目を完全に潰し、また反発を生む。
三成のやったことは一見良いことに見える。
しかしこういった類の行為は、実際にはその家のため、
また家中の組織のためにも、決して良い行いではないのだ。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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