徳川家康が、秀吉に饗応を受けた時の事である。
その折、かけ盤をはじめとして、一つ残らず全ての器に、
「葵の紋」が蒔絵として装飾されており、真に贅美を尽くした饗応であった。
屋敷に戻った家康は、これを本多正信に語った。
「さて、秀吉はこのように、わしを取り込もうとしておる。
これに乗るべきか、乗らぬようにするべきか、
我々としては、どのように対処するべきかな?」
この問いに正信は答えた。
「かつて、小笠原氏次は勇将の誉れ高く、周辺の大名は皆、
彼を配下に入れようと、
熱心に勧誘いたしておりましたな。
ところが意外にも氏次は、我が徳川家の配下に入りました。
武田でも北条でも上杉でも織田でもなく、
もっとも弱体であった我が家に。
彼が内々に考えていた事はよく分かります。
近く信長と朝倉の決戦がある。
徳川はその戦に、織田の加勢として出馬するであろう。
その隙を突き、三河遠州の両国を、己の手に握ろう。
左様な存念の元、まるで二心無いようにご奉公しておりました。
彼の目論見どおり、間もなく織田と朝倉の関係は決裂し、姉川の合戦が起きましたな。
その時、殿は、氏次を新参であるにも拘らず、援軍の先鋒に命じました。
氏次としてはそれまで忠義面で使えていたものだから、いまさら断る事もできず、
姉川に出陣、勝利を得ました。
氏次は二心無き様に見せ、殿を乗せたと思っていたところ、
実は殿に乗せられていて、
彼の計画は霧散した、そういう事でありました。
今回も同じ事。
人が乗せようとしているのを乗らないのは、
『何事か我々に対し、心に一物を持っているな。』
と、相手に警戒させるだけです。
豊臣家が我々を掌に乗せようと来るのであれば、我らはそれに乗ったように見せ、
心では乗らず、かえって豊臣家を乗せてしまえば良いのです。」
家康は、
「尤もである。」
と、正信の語った事に満足した。
この様であったから、家康は正信の事を、深く信用していたのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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