秀吉の四国征伐の時、伊予国金子城攻防戦においての、
薮内匠と、毛利家家臣児玉三郎左衛門の槍働きは、
当時、世の人々に大いに喧伝されたものであった。
ある時、本多正信がこの児玉を招いて、その戦の模様を詳しく尋ねたことがあった。
しかし児玉、
「申し訳ござらん。前後の次第を忘却してしまいました。」
と、それだけを言い、
その時はそれで終わってしまった。
その後、正信が、こんな話を聞いた。
児玉が親しい人に、
『内匠と言う人は、世の人の良く知る勇者である。
あの戦の模様を私が話せば、
当然、共に戦った内匠が語ったのと同じ内容になるだろうが、
もし、その語る内容に相違があれば、世の人々は色々に褒貶するであろう。
私はそれほど江戸に出てくる人間ではないし、
”忘れた”と言っても、別に失うものはない。
それに、話の内容が異なって、内匠が悪し様に言われるような事態になるのは、
私の本意ではない。だからこそ語らないのだ。』
そんな風に言っていたというのだ。
これに正信は、
「人は誰も、我侭や独りよがりの心を多く持っている。
自賛をし他人を貶め、自分を立て人を退けるものだ。
そう言った中、児玉の心がけは何と麗しいものか。」
と、感じ入ったそうである。