それは宜しく有りません☆ | げむおた街道をゆく

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信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

今まで数度申し上げましたが、お忘れに成ったのか、強がっているのか、

お聞き入れありません。
軍勢を押し上げる時も、そのお姿や馬印、御馬も常と同じようにされていますが、

それは宜しく有りません。

我らの古主である武田信玄は、自分と同じ出で立ちの者を3人用意し、

自分も含めて同じ格好の者が4人、
軍勢を押し出す時も同じような馬に乗り、いかにも目立たないようにされていました。

これにより、数度、危うい所を逃れました。

上杉謙信は、1日に2度、武者振り(出で立ち)を変えたと聞いています。
その時分は越後勢から甲州勢へ忍びを入れ、もしくは甲州勢が越後勢を探って、

大将の出で立ちを伺っても、
両将共に見定めることが出来ませんでした。
この両人に限りません。

関東の北条、尾張の織田信長、何れも見定められた事はありません。

殿(井伊直政)は無類に強気ですから、こういった事は悪しきと思うかもしれません。

ですがそれは若気と言うものです。

心得の無い者たちは、敵味方ともに殿を、

『雄々しき大将だ。』

と言うかもしれませんが、
武功の者達は笑っているのですよ。

尤も、大将というものは前線の様子を、自身の目で知りたいものです。

その時は、ご自身の具足と違わぬよう拵えたものを予め用意しておき、

近習の者に着せて、旗本に置き、馬印もそのまま置いて、

大将は目立たぬ姿に着替えて、前線にてご下知なさるべきです。

殿は、朝霧の深い時でも前線に馬で乗り入れます。あまつさえ馬印まで持って。
今後、絶対にそういうことはなさらないで下さい。
霧深い中、敵が伏兵を置いて居た場合、鉄砲などで狙われる例は多いのです。

そうして過ちが起これば、それは末代までの落ち度です。

それから、先年家臣一同をご覧になった時も、

組頭、使番、物頭、そのほか頭の者たちばかりにお声をかけられ、

残る士にはお言葉をかけられませんでした。

これは殿がご若年だからでしょうが、
諸人に恨みを残す行為です。皆に声をかける嗜みがあるべきです。
御用に命を捨てる武士というものは、

たった一言の言葉にも感じ入り、一心を定めるものなのですから。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 井伊の赤鬼、井伊直政

 

 

 

ごきげんよう!