今まで数度申し上げましたが、お忘れに成ったのか、強がっているのか、
お聞き入れありません。
軍勢を押し上げる時も、そのお姿や馬印、御馬も常と同じようにされていますが、
それは宜しく有りません。
我らの古主である武田信玄は、自分と同じ出で立ちの者を3人用意し、
自分も含めて同じ格好の者が4人、
軍勢を押し出す時も同じような馬に乗り、いかにも目立たないようにされていました。
これにより、数度、危うい所を逃れました。
上杉謙信は、1日に2度、武者振り(出で立ち)を変えたと聞いています。
その時分は越後勢から甲州勢へ忍びを入れ、もしくは甲州勢が越後勢を探って、
大将の出で立ちを伺っても、
両将共に見定めることが出来ませんでした。
この両人に限りません。
関東の北条、尾張の織田信長、何れも見定められた事はありません。
殿(井伊直政)は無類に強気ですから、こういった事は悪しきと思うかもしれません。
ですがそれは若気と言うものです。
心得の無い者たちは、敵味方ともに殿を、
『雄々しき大将だ。』
と言うかもしれませんが、
武功の者達は笑っているのですよ。
尤も、大将というものは前線の様子を、自身の目で知りたいものです。
その時は、ご自身の具足と違わぬよう拵えたものを予め用意しておき、
近習の者に着せて、旗本に置き、馬印もそのまま置いて、
大将は目立たぬ姿に着替えて、前線にてご下知なさるべきです。
殿は、朝霧の深い時でも前線に馬で乗り入れます。あまつさえ馬印まで持って。
今後、絶対にそういうことはなさらないで下さい。
霧深い中、敵が伏兵を置いて居た場合、鉄砲などで狙われる例は多いのです。
そうして過ちが起これば、それは末代までの落ち度です。
それから、先年家臣一同をご覧になった時も、
組頭、使番、物頭、そのほか頭の者たちばかりにお声をかけられ、
残る士にはお言葉をかけられませんでした。
これは殿がご若年だからでしょうが、
諸人に恨みを残す行為です。皆に声をかける嗜みがあるべきです。
御用に命を捨てる武士というものは、
たった一言の言葉にも感じ入り、一心を定めるものなのですから。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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