これはたいへん申し上げにくいことなのですか、
世の中では殿(井伊直政)のことを、人を斬る人物だと沙汰しています。
私達においても、よその知人から、
『未だ生害にあわず、存命でしょうか?』
と、生存を確認する書状が来る始末です。
殿におかれては、大方の科は御堪忍なされ、処刑に値する罪でも、
五度に二度は命を助けられ追放にとどめ、
罪のある中でも忠功のある者には、前の科を捨てられることこそ、
誠の大将というものなのです。
殺害の多い大名は良い家臣を持てません。
先年、当家(井伊家)は、美濃輪、橋田、秋山、戸倉、勝野の五人、
彼らは上方で名のある武士であったので、
それぞれに千石づつ宛てがい召し抱えたいと伝えました。
彼ら五人は、その前は織田源之丞に仕え、五百貫を知行していました。
そんな彼らに千石づつという非常に高い条件で召されたというのに、
彼らは、
「上方にて望む所があるので。」
と、断ってきました。
しかし、断った彼らの本音は、「井伊家はキツイ」という判断なのです。
その後千五百石まで条件を上げても参りませんでした。
近頃聞いた所によると、彼らは本多平八殿の所に、
わずか八百貫で五人全員が参ったそうです。
実に惜しき事です。
家臣が当家、長久、子孫・武勇繁盛と祈るのも、それは長命を前提としているのですよ。
殿は六年ほど前からお心がけが変わり、物荒くなられました。
家康公の仰せにも、
「何であっても三度家臣と相談して決定するように。」
と有るではないですか。
これはしっかりと自覚すべきです。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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