関ヶ原で、東軍が大勝し、三成の陣悉く潰れたが、
山の側を伝って、人が多く通っていた。
井伊直政、これを見て、松倉豊後守(重政)に向かって、
「あれは、敵か味方か。」
と尋ねた。
松倉は、
「敵とも味方とも見分けがたい。」
と申している所に、甲州衆が合流した。
直政は、彼らに重ねて、
「あれは、敵か味方か。」
と尋ねた。
甲州衆より、
「紛れも無く敵です。」
と申した所、直政は、二の句もなく即座に馬に乗り、これを追った。
この時、右の腕を撃ち抜かれ、落馬したのである。
松倉は、その後、この甲州者を激しく叱りつけた。
「私も最初から敵だと判断していたが、味方がこれほど大勝しているのに、
こぼれ物の退兵を攻撃しても益はない。
しかし敵と聞いて付かないのは、甚だ本意に非ず。
だからこそ私は、何となくの返答をしたのだ。
それなのにお主は、巧者のふりをして要らぬ見切りをした。
故に大将に手を負わせたのだ!」
この甲州者は、早川弥左衛門であったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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