豊臣秀吉の時代のこと。
徳川家康の旗本である筧助兵衛という禄五百石の者、
2年の間、京に御使として駐在していたが、
その勤めも終わった、帰路でのこと。
筧の旅宿に、秀吉の直参である、小川関書という者が押しかけてきた。
筧が、
「何事であるか、狼藉なり!」
と抗議すると、
「筧の槍持ちは、先年、我が家において、罪を犯し欠け落ちした者であるが、
今、この宿において見つけた故、捕えるのだ!
速やかに彼を差し出すように!」
そう罵って、今にも乱入する気配であった。
しかし筧、
「おおよそ天下には御定法があり、あえて違うべきではない。
また武士は礼を以って立つものである。
一応の届もなく、みだりに追い込んでくるのは礼ではない!
私は、今、京都に使いして帰る途中である。
そこで鑓がなければ奪い取られたと言われるだろう。
願わくば静まれよ。
命を伝えて後に、相違なく槍持ちを送り届ける。」
そう言って、さらに、その旨を文書に書いて証拠として残すとまで言ったが、
それでも小川は、全く承知せず、
「遅く出すくらいなら、討ち果たせ!」
とまで言ってきた。
「さてさて何と理不尽なことか。そういう事であるなら、私も絶対に出さない!」
筧も怒り、双方既に戦いに及ぼうという時、
ここを井伊直政が通りかかり、
この騒ぎを聞いて、
ともかく筧を説得し、かの槍持ちを出させようとした。
しかし、筧から仔細を聞くと、直政も共に激怒。
「無法千万の者共なり!
この上は、もし手を出す者があれば、
一人も残らず斬り殺すべし!」
そういうと即座に、従者5,600人を武装させ集合させた。
その勢いに驚き、小川は、引き退いたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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